「蟹の惑星」はカニづくし
「蟹の惑星」ってどんな映画なんですか?とよく聞かれます。
「蟹の惑星」は多摩川河口の干潟で15年に渡ってカニを観察し続けている吉田唯義さんとカニたちの驚くべき営みを見つめていくドキュメンタリー映画です。
その内容を“カニ”というキーワードでくくって紹介してみます。
カニたちの意外に知られていない体の機能、例えば「えら呼吸のカニがなぜ陸上でも活動できるの?」とか、「カニはどうして泡をふくの?」とか、カニへの素朴な疑問を解き明かしていきます。
さらに「蟹の惑星」はカニたちのカーニバルを描きます。
なんと、カニも踊るんです。それも集団で。
ハサミを激しく上下に動かし一斉にダンスをする様は、まるでカーニバル。
どうしてそんなことをするのか、その秘密を吉田さんが語ります。
自然界は楽しいことだけではありません、弱肉強食の厳しい世界です。
なので「蟹の惑星」にはカニバリズムもあります。
つまりは共食いです。
カニは同じ仲間どうしでも共食いをします。
干潟という過酷な環境で生き抜いていくためには、時のこのような非情な行為もせざるを得ないのです。
映画もそこからは目をそらしません。
そしてほかにも…。(すみません、早くもダジャレのネタが尽きました。)
その他にも、カニの様々な営み…例えば子孫を残すための交尾や産卵、新たな命の誕生、さらに宇宙との不思議な結びつきなど、様々な視点からカニたちを描いています。
そしてカニたちが暮らす干潟の環境についても、私たち人間の歴史や営みが大きく影響していることを、吉田さんが貴重な証言として話してくれます。
おそらくこれはこの映画で初めて明らかにされることだと思います。
さあ、あなたも「蟹の惑星」へ降りたってみませんか。
村上浩康(製作・監督)
干潟に猫が生まれました。
1ヵ月前、干潟のおじいさんの家にいるハヤブサが子猫を4匹生みました。
おじいさんは、自分のところにきた捨て猫のうちメスがいると、ボランティアの方々に頼んで、繁殖しないように避妊手術をしています。
ただでさえ、次々と捨てられる猫たちの世話で経済的に苦労しているのに、これ以上繁殖してしまうと面倒を見きれないからです。
ハヤブサはおよそ1年前におじいさんが保護したのですが、まだ子猫だったので油断して避妊手術をしていませんでした。
ところが、ハヤブサはいつの間にか妊娠していました。
そして4匹の子供を出産しました。
初めは目も見えずネズミのように小さかった子猫たちも、ひと月たってだいぶ大きくなり、今ではケージの中で活発に動き始めています。
歯も発達してきて、おじいさんが指を差し出すと噛みついてきます。
そんな子猫たちをハヤブサはケージの外へ出そうとしますが、おじいさんの家の周りには、ヘビやカラス、ハクビシン、タヌキなどが出没するので、おじいさんはある程度成長するまでは用心をと、自分の目の届くところで見守っています。
おじいさんは子猫たちを里親に出すことを決めています。
自分の年齢を考えると最後まで面倒を見ることが出来ないと思っているからです。
「ほんとは、手放したくないんだけどなあ…」
多い時は20匹、今も15匹ほどの捨て猫たちの世話をしているおじいさん。
シジミを獲りながら日銭を稼ぎ、ギリギリの暮らしをしているおじいさんが、何故そこまでして猫たちの面倒を見ているのか。
「東京干潟」を撮る動機になった理由のひとつがそれでした。
村上浩康(製作・監督)
もっとカニに近づきたい!
干潟でカニを撮るにあたって、私が命題としたのは“接写”、つまりなるべく近寄って撮影することでした。
その方法論を徹底したことにより、肉眼では見えないカニの造型の面白さと色彩の美しさをカメラに収めることが出来たと思います。
実は私は実際に干潟で撮影を始める前から、彼らを接写しようと考えていました。
それは干潟を撮るにあたって事前に参考試視聴していたある映画が原因でした。
その映画は「或る日の干潟」という記録映画です。
これは戦争中の1940年に作られたいわゆる“文化映画”の名作と言われる作品です。
戦争中、日本の映画館では国策で定められた映画法により、国民の戦意高揚を目的にしたニュース映画と、日本の文化や自然の素晴らしさを伝え愛国心を高めるための文化映画の上映が義務付けられていました。
「或る日の干潟」はそうした文化映画のひとつとして作られた作品です。
その内容はタイトル通り、干潟の一日を追いながら、そこで生きる様々な生き物の姿を記録したものとなっています。(撮影した場所は、有明海や千葉の三番瀬など数か所で、これらをひとつの干潟として設定しているようです)
この映画では、当時まだ珍しかった巨大な望遠レンズを駆使して、主に鳥などの生態を記録しています。
そのようにして撮影した迫力の映像は、公開当時とても評判になり、その後も長く語り草になっていました。
干潟でドキュメンタリー映画を撮るなら、まずはこの作品を見なくてはならない。そう思った私は、すぐにAmazonでDVDを注文しました。(岩波書店から販売している「日本のドキュメンタリ―」という、とても高価なBOXセットに入っていました。)
映画を見ながら、私は思いました。
「なるほど、望遠レンズを多用しているのか…。ならばオレは逆の手法を採ろう。そうだ、接写だ!」
遠く離れた場所から被写体を撮るのではなく、できるだけ近づいて、その細部を捉えてやろうと思い立ったのです。
そしてカメラのレンズにプロクサーという、いわば虫眼鏡のようなクローズアップフィルターを付けて(倍率違いを何枚か用意しました)、出来るだけカニに接近して撮影することにしたのです。
これが実は大変な撮影になってしまったのですが…。
そのことについては、過去のブログ記事「撮影現場は二刀流」をご参照ください。
https://tokyohigata.hatenablog.com/entry/2019/06/09/092411
接写については、もう一つの理由があります。
それは老眼です。
これは冗談ではなく、私にとって切実な問題です。
若い頃、私の視力は抜群でした。
視力検査ではいつも両目が2.0。ハッキリクッキリCの指す方向が見えました。
検査表ではそこまでしか測定できなかったのですが、実際はもっと見えていたと思います。
それが50歳を迎えようとする頃に、途端に近くが見えなくなりました。
今まではどんな細かい字でも鮮明に読めていたのに、徐々に焦点が合わなくなり、それが日々進行し、今ではメガネがないと本も読めないしパソコンも打てません。
近くが、手元が、ぼやけて見えないのです。
一番困るのは撮影です・
カメラのファインダーを覗いてもぼやけて見えて、ピントが合っているのかも分かりません。
暗いところでは、手元のスイッチやボタンが判別できません。
普段はメガネをかけていないので(近く以外は見えるので)、撮影時にその場に合わせてメガネをかけたり外したりするのは、いちいち面倒で、ドキュメンタリーといういつ何が起こるかわからない現場ではとても機動性が悪くなります。
老眼が進むにつれ、私の中で言い知れぬ欲求がたまってきました。
「近くでものを見たい!」
カニの接写を決意した裏側には、実はこのような身体的・本能的な欲求があったのです。
撮影時には肉眼では良く見えなかったカニの細部も、撮った映像をモニターで改めて見ると、驚くほど迫力があり、造型の奇抜さと色彩の美しさ、そして不思議な動きなどが細部までハッキリ見え、これを映画館のスクリーンに投影したらどんなに面白いことかと ニンマリしてしまいました。
老眼で不自由を感じていらっしゃる方、またこれから老眼を迎えようとする方、そして老眼なんてまだまだ関係ないと思っているあなた、近くでハッキリとものが見えることの素晴らしさをぜひスクリーンで体感して下さい。
「蟹の惑星」はそんな映画でもあります。
村上浩康(製作・監督)
【動画】干潟の家の猫たち
干潟の家の猫たち(ドキュメンタリー映画「東京干潟」PRESENTS)
「東京干潟」の主人公・シジミ獲りのおじいさんは、多摩川に捨てられたたくさんの猫たちと共に暮らしています。
その中から、映画に登場した猫たちを動画で紹介します。
(未公開映像もあります)
おじいさんと猫たちの深い絆は映画の中で詳しく描かれていますので、ぜひスクリーンでご覧ください。
村上浩康(製作・監督)
ホームページ完成しました!(小西修さんから寄稿文をいただきました)
おまたせしました!
「東京干潟」と「蟹の惑星」のホームページが完成しました!
以下よりアクセスできます。
ホームページには作品情報や公開情報、予告編、私のインタビュー、そして作品に寄せられた様々なコメントを掲載しています。
コメントは佐藤忠男さん(映画評論家)、松崎健夫さん(映画評論家)、四方繁利さん(映像文化批評家)、我妻和樹さん(映像作家)、宍戸大裕さん(映像作家)、山田徹さん(映像作家)、柳下美恵さん(ピアニスト)、佐野章二さん(ビッグイシュー日本代表)、以上の皆さんに頂戴いたしました。
また、特別寄稿として写真家の小西修さんの「東京干潟」への寄稿文を掲載しています。
小西さんは1989年から、ご夫婦で多摩川に捨てられた猫たちのケアを(何と!)30年間、毎日行っています。
多摩川の上流から下流まで、自転車で時に何十キロも移動しながら、飢えたり傷ついたりした猫の保護や治療、救済活動を続けています。
また、河原に暮らすホームレスの人たちへの支援も同時に行っています。
さらに、多摩川で暮らす猫たち(その中には人間に虐待された猫もいます)の姿をカメラに収め、写真展を開くなど、多摩川の猫たちの実情を訴えています。
私は多摩川の映画を作るにあたって、事前に多摩川に関するドキュメンタリー映像をいろいろと参考視聴しました。
その中に、小西さんご夫婦の活動を記録したドキュメンタリー番組がありました。
日々、捨て猫たちの為に身を粉にして、人生のすべてをかけて活動を続けるお二人の姿を見て、世の中には凄い人がいるなあと、とても心を動かされました。
映画の撮影中、その小西さんとお会いすることが出来ました。
実はシジミ獲りのおじいさんと仲が良かったのです。
おじいさんの家で小西さんと三人でお酒を飲みながら、いろいろと興味深いお話を伺うことが出来ました。
人間の猫への信じられないような虐待の話も聞きました。
淡々とお話をされる小西さんでしたが、その瞳の奥には多くの厳しい現実を見てきた深い哀しみと怒りを感じました。
30年間、日々こうした思いを抱えながら、献身的に活動を続ける小西さんの胸中を思うと胸が熱くなりました。
以来、小西さんにはいろいろとお世話になっています。
7月13日(土)からのポレポレ東中野での公開にあたって、映画館のロビーに小西さんが撮影した多摩川の猫たちの写真を何点か展示していただきます。
映画と共に小西さんの猫の写真もぜひご覧ください。
村上浩康(製作・監督)
「蟹の惑星」へ誘う音楽の魅力
今日は「蟹の惑星」の音楽について書こうと思います。
「蟹の惑星」はマリンバ演奏者の田中舘靖子さんに音楽をお願いしました。
私は自分の映画に極力音楽をつけないようにしています。
なぜなら、音楽は人間の感覚に直接響き、聴く人の心にダイレクトにしみ込んでくるからです。
音楽は人間が人間に進化した原初から人間と深く結びついている根源的な芸術です。
一方、映画は120年前に誕生した新米の芸術です。
それゆえに、音楽と映画を組み合わせる際には細心の注意を払わなくてはならないと思います。
平たく言えば、映画が音楽に引っ張られないようにしなくてはなりません。
音楽が導くイメージや感情は、映画を一方向に誘導しがちです。
これが観る人の映画への解釈を狭めてしまうのです。
それだけ音楽は強いのです。
(映画を見ていても、音楽の感動が上回っている場合が多々あります。映画ではなく単に音楽に反応しているだけではないか、とハッと我にかえる時があります。)
前置きが長くなりましたが、以上のような理由で、私は音楽の使用についてはあまり積極的ではありません。
今回、多摩川の干潟を舞台にしたドキュメンタリーを作るにあたって、私は音楽を入れるつもりはありませんでした。
干潟には様々な音が響いています。
川のせせらぎ、吹き抜ける風、鳥や虫たちの声、大師橋を走る車の走行音、上空を行き来するジェット機の轟音、水を掻き分ける漁船のエンジン音、近くの学校から聞こえる子供たちの歓声、大田区の防災無線、橋梁工事の重機の音…。
多くの現実音が干潟で交差しています。
「東京干潟」と「蟹の惑星」では、こうした干潟の音を細かくミックスしておりますので、映像と共に音からも干潟を体感していただければと思います。
このように現実音が充満し、これで十分に干潟を表現しうるのに、どうしてそこに音楽を入れたのか。
それはカニが鳴かないからです。
カニは鳴き声を発しません。
彼らは声を持たないのです。
極めてユニークで、見れば見るほど、知れば知るほど面白いカニたちですが、彼らは自身の存在を声に出して主張することはありません。
私は彼らの声なき声を聞きたいと思いました。
その時、頭に浮かんだのが以前拝聴した田中舘さんのマリンバの音色でした。
田中舘靖子さんは盛岡在住のマリンバ演奏者です。
前作の「無名碑 MONUMENT」が盛岡の池を舞台にしていた縁で田中舘さんと知り合い、タイミングよく地元でのライブがあったので、演奏を聴かせていただきました。
それがあまりにも素晴らしく、深く心に響きました。
一つ一つの音色が、水面で拡がる波紋のように交錯し、調和し、それでいてひとつの感情に縛られることなく自由なイメージを想起させてくれました。
干潟でカニを撮影し、膨大な映像を編集しているうちに、私はカニの声を何かで表現したいと思うようになりました。
効果音でつけるのは偽の鳴き声でしかないので嫌だし、ならば音楽ではどうか…。
そうだ、田中舘さんのマリンバだ!
あの音色はカニの動きをイメージさせるし、干潟の風景にも合うような気がする。
田中舘さんのマリンバは、イメージを固定化することなく映画の世界観を瞬時に伝え、見る人を干潟に誘ってくれるのではないか。
ここは田中舘さんの音楽のチカラをお借りしよう。
というわけで、私は盛岡の田中舘さんを訪ね、音楽のお願いをしました。
田中舘さんは快く引き受けて下さり、バッハのゴルトベルク変奏曲をマリンバ用に編曲して素晴らしい音楽をつけて下さいました。
音楽の録音は東京のスタジオ(マリンバのある録音スタジオを探すのが大変でした)で収録し、私も立ち会わせていただきました。
田中舘さんがマレット(マリンバを演奏する道具)で鍵盤をたたくと、深く心地よい音色がスタジオ中にひろがり、「蟹の惑星」の音楽をお願いして間違いなかったことを確信しました。
田中舘さんはマレットを片手に二本ずつ持ち、計4本を複雑に操って演奏する(凄いテクニックでした!)のですが、それはまるでカニのハサミのようだと、ご自身で笑っていました。
やはり「蟹の惑星」の音楽をお願いして間違いなかったのです。
田中舘さんの音楽と共に、カニたちの声に耳を傾けながら、映画をお楽しみいただければ幸いです。
村上浩康(製作・監督)
【動画】干潟での不思議な出会い
普段は水面下にある干潟。
干潮になって水が引くと、干潟には不思議なものが残されていることがあります。
今日は、不思議なもの、そして不思議な出会いを短い動画でご紹介いたします。
村上浩康(製作・監督)