「蟹の惑星」へ誘う音楽の魅力
今日は「蟹の惑星」の音楽について書こうと思います。
「蟹の惑星」はマリンバ演奏者の田中舘靖子さんに音楽をお願いしました。
私は自分の映画に極力音楽をつけないようにしています。
なぜなら、音楽は人間の感覚に直接響き、聴く人の心にダイレクトにしみ込んでくるからです。
音楽は人間が人間に進化した原初から人間と深く結びついている根源的な芸術です。
一方、映画は120年前に誕生した新米の芸術です。
それゆえに、音楽と映画を組み合わせる際には細心の注意を払わなくてはならないと思います。
平たく言えば、映画が音楽に引っ張られないようにしなくてはなりません。
音楽が導くイメージや感情は、映画を一方向に誘導しがちです。
これが観る人の映画への解釈を狭めてしまうのです。
それだけ音楽は強いのです。
(映画を見ていても、音楽の感動が上回っている場合が多々あります。映画ではなく単に音楽に反応しているだけではないか、とハッと我にかえる時があります。)
前置きが長くなりましたが、以上のような理由で、私は音楽の使用についてはあまり積極的ではありません。
今回、多摩川の干潟を舞台にしたドキュメンタリーを作るにあたって、私は音楽を入れるつもりはありませんでした。
干潟には様々な音が響いています。
川のせせらぎ、吹き抜ける風、鳥や虫たちの声、大師橋を走る車の走行音、上空を行き来するジェット機の轟音、水を掻き分ける漁船のエンジン音、近くの学校から聞こえる子供たちの歓声、大田区の防災無線、橋梁工事の重機の音…。
多くの現実音が干潟で交差しています。
「東京干潟」と「蟹の惑星」では、こうした干潟の音を細かくミックスしておりますので、映像と共に音からも干潟を体感していただければと思います。
このように現実音が充満し、これで十分に干潟を表現しうるのに、どうしてそこに音楽を入れたのか。
それはカニが鳴かないからです。
カニは鳴き声を発しません。
彼らは声を持たないのです。
極めてユニークで、見れば見るほど、知れば知るほど面白いカニたちですが、彼らは自身の存在を声に出して主張することはありません。
私は彼らの声なき声を聞きたいと思いました。
その時、頭に浮かんだのが以前拝聴した田中舘さんのマリンバの音色でした。
田中舘靖子さんは盛岡在住のマリンバ演奏者です。
前作の「無名碑 MONUMENT」が盛岡の池を舞台にしていた縁で田中舘さんと知り合い、タイミングよく地元でのライブがあったので、演奏を聴かせていただきました。
それがあまりにも素晴らしく、深く心に響きました。
一つ一つの音色が、水面で拡がる波紋のように交錯し、調和し、それでいてひとつの感情に縛られることなく自由なイメージを想起させてくれました。
干潟でカニを撮影し、膨大な映像を編集しているうちに、私はカニの声を何かで表現したいと思うようになりました。
効果音でつけるのは偽の鳴き声でしかないので嫌だし、ならば音楽ではどうか…。
そうだ、田中舘さんのマリンバだ!
あの音色はカニの動きをイメージさせるし、干潟の風景にも合うような気がする。
田中舘さんのマリンバは、イメージを固定化することなく映画の世界観を瞬時に伝え、見る人を干潟に誘ってくれるのではないか。
ここは田中舘さんの音楽のチカラをお借りしよう。
というわけで、私は盛岡の田中舘さんを訪ね、音楽のお願いをしました。
田中舘さんは快く引き受けて下さり、バッハのゴルトベルク変奏曲をマリンバ用に編曲して素晴らしい音楽をつけて下さいました。
音楽の録音は東京のスタジオ(マリンバのある録音スタジオを探すのが大変でした)で収録し、私も立ち会わせていただきました。
田中舘さんがマレット(マリンバを演奏する道具)で鍵盤をたたくと、深く心地よい音色がスタジオ中にひろがり、「蟹の惑星」の音楽をお願いして間違いなかったことを確信しました。
田中舘さんはマレットを片手に二本ずつ持ち、計4本を複雑に操って演奏する(凄いテクニックでした!)のですが、それはまるでカニのハサミのようだと、ご自身で笑っていました。
やはり「蟹の惑星」の音楽をお願いして間違いなかったのです。
田中舘さんの音楽と共に、カニたちの声に耳を傾けながら、映画をお楽しみいただければ幸いです。
村上浩康(製作・監督)