ドキュメンタリ―映画はこうして生まれる(私の場合です)
今回は私が監督した過去のドキュメンタリ―作品のうち、「東京干潟」と「蟹の惑星」に特に影響を与えた2本をご紹介します。
ひとつは、今から7年前の2012年に完成した私の初めてのドキュメンタリ―監督作品「流 ながれ」です。
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この作品は神奈川県の愛川町を流れる中津川を舞台に、ダムによって影響を受ける植物や昆虫の保護や調査を続ける二人のおじいさんの活動を10年間に渡って記録した作品です。
本作はカメラマンの能勢広さんと共に製作しました。
この時、能勢さんの水生昆虫(カゲロウやカワゲラなどの幼虫:川の中に住んでいます)の生態撮影を傍でずっと見ていたことが、たいへん勉強になり、今回「蟹の惑星」を自分で撮るにあたって随分活かされました。
また10年間ひとつの題材を追う事で、“時間がドキュメンタリーを作る”ということもよく分かりました。
日常を記録し続けるドキュメンタリ―においては、実際の時の流れで生じる様々な事象を凝縮してこそ物語やドラマが生まれます。
その為には長い時間をかけることが重要になってきます。
初めは淡々としていた日常も、ある時、突然大きな変化や転機を迎えます。
そしてそれは必ず起こります。
その機微を捉えていくことこそがドキュメンタリーなのだと思います。
初めて作ったドキュメンタリー映画で10年という長期間をかけたことは、(それは撮影対象の皆さんの理解があってこそでしたが)とても幸運でした。
この正反対の方法で製作したのが、2016年の「無名碑 MONUMENT」です。
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これはおよそ10日間という短期間で撮影した作品です。
岩手県盛岡市にある桜の名所「高松の池」を舞台に、花見にやってきた様々な人の証言を通して、池の歴史や環境、人々の絆などを描いた作品です。
つまり、お花見の期間(桜が咲いて満開になり散るまでの間)に集中的に撮影したので10日間という短期間になったのです。
(そのかわり、早朝から深夜までずっと池に張り付いて撮影しました)
撮影は、ほとんどがぶっつけ本番の体当たり取材で、池を訪れた人々(100人くらい)に突撃インタビューを敢行し、その中から印象的な証言を紡ぎ出し、ひとつの映画に仕上げていきました。
この撮影では毎日が偶然と幸運の連続でした。(奇跡と言いたいくらいの出来事もありました)
様々な目的で池にやってきた人たちが、全く異なる視点から池を語るうちに、それらが少しづつ結びついていき、やがては時空を超える大きな物語が見えてきたのです。
盛岡の小さな池から戦争や震災の傷跡が、人と自然の結びつきが、苦難を乗り越えた人生の喜びが浮かび上がってきたのです。
これと同じような体験は、その後「東京干潟」でよりスケールの大きな形で繰り返されることになりました。
この「無名碑 MONUMENT」の体験があったからこそ、「東京干潟」のような映画作りができたと思います。
つまり、その場所に身を置いてじっと粘っていれば、やがてその場所にふさわしい人物と出会え、その場所の物語が生まれていく。そしてその物語を掘り下げていけば、普遍的な視点を獲得していく―という確信の元の映画作りです。
実は先述の「流 ながれ」も、初めから二人のおじいさんを撮ろうとしたのではなく、川に通い続けているうちに出会いました。
そういうわけで、私の場合、映画製作のきっかけは場所選びから入ることが多いのです。
しかもそれがなぜか水辺ばかり。
そしてそこには、必ずおじいさんがいる。
なぜ、私は“水辺とおじいさん”ばかり撮るのでしょうか?
明日はそのことについて考えてみたいと思います。
村上浩康(製作・監督)