東京干潟&蟹の惑星ブログ

多摩川河口干潟を舞台にした連作ドキュメンタリー映画「東京干潟」と「蟹の惑星」の情報をお伝えします。

編集は人の目にさらしてこそ磨かれる

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昨日はひとりで撮影する意味について書きましたが、今回は撮影後の編集について書いてみようと思います。

 

私の場合、編集も自分ひとりで行います。

 

ドキュメンタリ―映画の場合、ドラマのようにあらかじめシナリオがあるわけではありません。

無論、事前の下調べなどでおおまかな構成を準備し、それに沿って撮影を進め仕上げていく場合もあるでしょうが、基本的には撮影済みの映像をもとに編集しながら映画の内容を構築していきます。

 

撮影した映像はそのままでは単なる映像の断片でしかありません。

それらを繋いでシーンやシークエンス、そして作品全体の構成を紡いでいくのが編集です。

つまりドキュメンタリー映画の編集とは、シナリオ書きと演出と編集を一度に行っていくようなものなのです。

 

いわば編集が映画を生んでいくのです。

編集によって、その映画が何を伝えたいのか、何を描こうとしているのかが決まるのです。

 

だから編集はとても重要です。

私にしてみれば、この最も重要な編集を他人に任せるわけにはいきません。

 

ところが、編集を自分で行わず、専門の編集マンに任せるドキュメンタリ―監督もいます。

それは何故でしょうか。

 

私が思うに、それは客観が欲しいからだと思います。

 

映画には作者がいます。それは多くの場合、監督ということになるでしょう。

監督は、自分の映画に最も深く関わり、考えに考え抜き、映画を吟味し尽します。

それだけに、知らぬ間に主観の世界に入り込んでしまいます。

 

一方、映画は客観的な表現です。

映画は観客に見られることを前提としているので、当然のことながら主観の狭い捉え方から、もっと広い公共の視点を得なければ、多くの場合、観客の支持は得られません。

 

これは安易に観客に媚びろとか、わかりやすさを第一に表現しろとか、そういう意味ではありません。

 

個人の思い入れの世界から、もっと広い共有できる世界へと昇華し、作者と観客が作品を通してコミュニケーション出来る豊かさを持とうということです。

 

その時に必要になるのが、客観です。

 

自分の映画のことを、作った本人が一番知っていると思ったら大間違いです。

知らぬ間に主観の沼にはまり込んでしまった作者は、思い込みや思い上がり、執拗なこだわりに囚われ、時に盲目になる場合が多いのです。

これが表現の怖さです。

 

だから撮影した素材を、一旦信頼できる編集者に渡して、プロの客観の視点で編集してもらおうという監督がいるのは当然のことなのです。

 

しかし私はやっぱり、編集は自分でしたい。

だって編集って面白いんだもん。

 

先述しましたが、編集は映画を生み出す作業です。

カットとカットを繋ぎ、シーンとシーンを繋いでいくと、映像が見る見る映画になっていく。その過程を実感できるのが編集です。

 

この世界に新しい映画が誕生する瞬間を最初に目撃するのが、編集をする人間なのです。

 

しかし、私がひとりで編集したものには、私自身が見えていない不備や、気づいていない落とし穴が隠されています。

 

そこで必要なのは、編集がある程度まとまった段階で、いろいろな人に見てもらうことです。

そこで出てくる様々な意見や批判を参考にして、更に作品に磨きをかけていくのが編集の最終作業になります。

 

「東京干潟」と「蟹の惑星」は編集に1年半をかけました。

撮影を始めて2年半が経過した頃、このままでは素材が膨大になり、編集しきれないと感じて、撮った映像を少しずつ編集し、シーンごとに細かくまとめていきました。

 

さすがに1年半も編集に時間をかけると(何度も同じ映像を見直すので)

自分の映画ながら全く思い入れやこだわりが無くなってきました。

だから自分は主観を脱却し客観を得ていると信じ込んでいました。

 

そして「東京干潟」の場合は、最初に完成したバージョンが2時間以上あり、それを1時間45分ほどにカットしたので、もうカットする部分もないだろう、これで完璧だろうとたかをくくっていました。

 

私は自信満々でいろいろな人に「東京干潟」を見てもらいました。

するとどうでしょう!

多くの人が、「長い」「くどい」「集中力が続かない」という、私には思いもよらない感想を口にしました。

いや、中には絶賛してくれる人もいましたが…。

 

これが編集の怖さです。

長い時間をかけたことで慢心していた私は、やはり主観の沼にはまり込んでいたのです。

 

そして心を入れ直して(?)、見てくれた人たちのアドバイスを参考に、再度試行錯誤を重ね、さらに20分ほど刈り込んだ83分の作品に仕上げました。

 

その後も、少しずつ見直しながら、映画館での上映が決まった後もマイナーチェンジを続け、時には追加撮影もして、つい最近まで編集を重ねていました。

 

先日行った試写会で、この最終バージョンを上映したところ(手前味噌で恐縮ですが)大変好評で、一安心しました。

 

というわけで、長々と書き連ねましたが、編集の奥深さと果てしなさを感じた今回の作品です。

私なりに研ぎ澄ましたと思いますので、ぜひ劇場でご覧いただき、作品を通して皆さんと対話できれば嬉しいです。

 

村上浩康(製作・監督)