なぜ?「東京干潟」というタイトル
多摩川の干潟でシジミを獲りながら捨て猫たちと暮らすおじいさんを描いた映画がなぜ「東京干潟」というタイトルなのか。
もちろん東京の多摩川の干潟が舞台ということが前提となっていますが、それだけではなく「東京」と「干潟」とそれぞれの言葉に様々な意味を託した結果の題名となっています。
以前も書きましたが、初めて多摩川の干潟を訪れた時にまず驚いたのは、自然と文明の境目のような風景でした。
世界の涯てのような景色に、本当にここは東京なのかとビックリしました。
しかし、ここは紛れもなく東京です。
東京の縮図が見られる場所です。
大都会の最下流である干潟にはあらゆるものが流れ着きます。
人々が消費した後に捨てた大量のゴミ、競争社会からはじき出されたホームレスの人々、ペットブームの裏で棄てられた動物たち…。
そしてこの干潟のすぐ向こうには空の玄関口である羽田空港があり、日本有数の工業エリア京浜工業地帯が連なり、東京オリンピックに向けて新たな橋やホテルが次々と建てられています。
干潟から変わりゆく時代の変わりゆく東京の姿と、そこに隠された歪みが見えてくるのです。
さらにこの東京の変化が、都会の隅の干潟で暮らすおじいさんにまで影響を及ぼすのです。
環境破壊や都市開発、高齢化や経済格差の問題が“東京の最下流”にまでツケをまわしてくるのです。驚くべきことに…。
映画ではおじいさんの歩んできた人生も描かれますが、その波乱の生涯もまた「東京」という街の歴史に深く結びついています。
おじいさんはかつて建設関係の会社を経営しており、バブル期の東京を代表する様々な建造物(都庁とかレインボーブリッジとかガーデンプレイスとか)の建設現場に携わっていました。
東京の街を作ってきた人が、巡り巡って東京の涯てで暮らしているのです。
このように多摩川の干潟を見つめていくと、いつのまにか東京という都市の現在が浮かび上がってきました。
それは東京だけでなく、日本の今の姿でもありました。
潮の満ち引きで現れては消える干潟。
ある時は陸(日本の領土)で、ある時は海(水域)となる干潟。
この不思議な空間は、紛れもなく東京であり、日本なのです。
ここからは余談ですが、「東京干潟」には私の個人的な映画への思いも含まれています。
それは私が最も敬愛する小津安二郎監督へのオマージュです。
小津は東京を舞台に映画を撮り続け、「東京物語」を始め「東京暮色」「東京の合唱」「東京の宿」「東京の女」などタイトルにも好んで東京を付けてきました。
私は小津の作品が大好きです。
彼の映画を見る度、画面から溢れる異常なまでの厳密な美学に圧倒され、「ああ小津はこうして世界を見つめているのか」といつも感銘を受けます。
その視点を文字通り象徴するのが、小津独特のカメラの位置です。
いわゆるローポジションという、カメラをかなり低い位置に構えて撮影する方法です。
このローポジションについては、小津自身はハッキリと意図を語っていませんが(子供の視点、日本間に座った視点、神の視点など様々な人が様々に解釈していますが)、彼の映画の根幹を支えているのは、この視点にあることは間違いありません。
つまり小津は常に低い位置から世界を見つめていたのです。
こじつけのようですが、私も「東京」というものを、地理的にも、海抜的にも、そして好きな言葉ではありませんが“下流社会”という観点からも、一番低い場所から捉えてみました。
さらに小津のようにカメラを低くかまえて、泥まみれでシジミを掘るおじいさんや泥の中で暮らす生き物たちを撮ってきました。
無論「東京干潟」は内容的に小津の映画とは全く関連がなく、それ以前に私が小津に肩を並べようなどという気は毛頭ありません。恐れ多いにもほどがあります。
しかし、意識はしていないのに、結果的に東京をローポジションで捉えたということは、私の小津への思慕が本作に影響を与えていたのかなとも思います。
というわけで、様々な意図を込めて「東京干潟」と名付けた作品ですが、明日はその干潟の風景を、特に(映画には入れなかった)印象に残った景色をご紹介したいと思います。
村上浩康(製作・監督)