東京干潟&蟹の惑星ブログ

多摩川河口干潟を舞台にした連作ドキュメンタリー映画「東京干潟」と「蟹の惑星」の情報をお伝えします。

猫とシジミと一緒に生きる(その2)

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「東京干潟」は、干潟のほとりで捨て猫たちと暮らすおじいさんを描いた作品ですが、

このおじいさんの生計を支えているのが、多摩川の干潟で獲れるシジミです。

獲ったシジミを近くの仲買業者に売って、そのお金で猫たちと細々と暮らしています。

 

かつて多摩川は「死の川」と呼ばれるほど汚染された川でした。

1960年代、日本は高度成長期を迎え、工業化が進むと共に国民の生活は一変。

その影響が川にも及びました。

 

川には工場から出た汚染水や生活排水などが垂れ流され、大都市を中心にして全国の川が瞬く間に汚されていきました。

 

首都東京を流れる多摩川もその例外ではなく、魚介類をはじめ、生き物が全く住めない川になってしまいました。

 

かつて多摩川で漁を生業としていた漁師たちも、ついには漁業権を放棄しました。

 

それから50年以上が経ち、今多摩川はアユが遡上する生命の流れを取り戻しています。

この背景には環境を重視する時代の変化と、自然を取り戻すべく尽力した様々な人々の思いと行動が積み重ねられています。

 

そして多摩川にはシジミも復活しました。

 

シジミは淡水の川や湖、または淡水と海水が交わる河口などに生息しており、おじいさんが漁をする多摩川河口では、主にヤマトシジミという種類が多くみられます。

 

シジミなどの貝は、水の中の有機物をエサにしているので、水質を浄化する働きを持っています。

多摩川の流れが年々きれいになった背景には、人間の努力と共に、そこで生きる生き物たちの働きが大きく影響しているのです。

 

しかし最近、せっかく復活したシジミが激減しつつあります。

 

その原因のひとつが、潮干狩りに来る一般の人々の無計画な乱獲です。

 

おじいさんは15年以上も多摩川シジミを獲ってきましたが、近年急に増え続ける潮干狩りの人々の乱獲で年々シジミは減り続けているそうです。

 

また一旦は漁業権を放棄した漁師も、多摩川シジミが獲れるとわかると再び漁業権を取得し漁を始めました。

おじいさんによるとこの漁師たちも無計画に乱獲を行っているとのことです。

 

本来、多摩川シジミを獲る際には、ある程度大きなものだけを獲るように決められています。


それは成長途中のシジミの子供(稚貝)を残すためです。

稚貝を残さなければ、次の子孫も残せないのですから、これは当たり前のことです。

 

おじいさんは、まだ漁師や一般の人々がシジミを獲る前から多摩川で漁をしていますが、最初から稚貝は絶対に獲らないと厳しく守ってきました。


そのために漁師が使うような大きなカゴ状のマキを使わず、素手で泥を掘り、指の間にかかった大きなシジミだけを獲るようにしています。

素手で干潟の泥を掘るのはかなりの重労働です。私も少しやってみましたが、酷い腱鞘炎になってしまいました)

 

さらに獲ったものを決められたサイズのふるいにかけ、網の目から落ちたものは、再び川に戻しています。

(おじいさんの獲ったシジミを初めて見たとき、その大きさにびっくりしました。シジミってこんなに大きくなるんだ、スーパーで売っているものとは大違いじゃないか)

 

こうしておじいさんは共存を心掛け、シジミに生かされていることに感謝しながら漁をしています。

だから必要以上のシジミは獲りませんし、また自分の食料にすることもありません。

 

あくまでもシジミ獲りは、猫と自分の生活を支える仕事として行っています。

 

しかし、この稚貝を獲らないというルールは、一般の潮干狩りの人々には浸透していません。

行政も積極的には指導はしていません。

 

また、本来漁が生業であるはずの漁師もこのルールを守らず、マキで一度にシジミを掻き揚げ、とったものをふるいで選別することなく全て持って行ってしまいます。

 

おじいさんは、初めのころは漁師にも潮干狩りの人たちににも、小さい貝は獲らないように声をかけていたそうです。

すると「ここはあんたの川か?」と言われ、次第に声がけもしなくなったそうです。

 

この乱獲のきっかけの一つが実はマスコミでした。

 

新聞やテレビが「多摩川シジミが大量発生!」とあおりたて、それから多くの人々が干潟にやってくるようになったそうです。

 

そして漁師も漁をはじめ、地元の漁師だけではなく、千葉など他県からも多くの漁船がやってきて無計画にシジミを獲りつくしていったそうです。


おじいさんは自分もシジミを獲っているので、何も潮干狩りをするな、漁を止めろと言っているわけではありません。

 

ただ乱獲を止めてほしいのです。


稚貝を残し、上手に漁をしていけば、シジミはそんなに減ることはありません。

シジミと共存しながら、いつまでも潮干狩りや漁が続けられるように配慮しながら行ってほしいのです。

 

特に子供たちにとっては、潮干狩りは自然に触れる貴重な機会なので、これがずっと継続できることを望んでいます。

 

現におじいさんは、何も知らない家族連れなどが小さなシジミを獲っていると、事情を話したうえで、自分の獲った大きなシジミと交換してやり、後で稚貝を川に戻しています。

 

しかし、乱獲は止まりませんでした。

 

今、おじいさんが長年漁をしてきた大師橋下の干潟(ここは吉田さんがカニの研究を続けてきた場所でもあります)は、ほとんどシジミが獲れなくなってしまいました。

 

私が撮影を始めた4年前は、干潟の泥を少し掘ればシジミが何個か出てきました。

それが今は、いくら泥を掘り返しても、シジミは見つかりません。

たった数年でこれだけ激変してしまうとは…。

 

実は最近のシジミの激減は、乱獲だけが原因ではありません。

 

もう一つ大きな要因があります。

 

これは映画の中で描かれておりますので、スクリーンで確認していただければと思います。

 

「東京干潟」と「蟹の惑星」を作って感じるのは、小さな干潟の中でさえ、生き物は生態系のバランスの中で生きているということです。

シジミも生態系を支えている重要な一員です。

 

シジミが激減すれば、必ずや何かの影響が出てくるはずです。

人間も大きく見れば生態系の一員ですから、このことが私たちに跳ね返ってこないとは言い切れません。

 

おじいさんは毎日複雑な思いでシジミのいなくなった干潟を眺めています。

 

そして今は漁場を変えて、少し下流で細々と漁をしています。

 

そんな現状の中で、つい最近おじいさんは思わぬ出来事を目撃してしまいました。

 

これは本来映画とは関係のないことなので、私が勝手に記述していいのかわかりませんが、同じ映像に関することなので、事実として残しておこうと思います。

 

そのことについては、また明日書くことにします。

 

村上浩康(製作・監督)