見えない繋がりを捉える
以前もこのブログに書きましたが、私が今回2本のドキュメンタリー映画を作るきっかけとなったのが、多摩川河口の干潟の風景でした。
都会の最涯てにひっそりと現れては消える干潟という空間は、まさに文明と自然の境界であり、都市の中にこのような場所があることにとても驚いたことが、映画製作の動機となりました。
当初、私は「東京にもこんな珍しい場所がありますよ」という意図のもとで、“都会の中の自然”を描こうとしました。
しかし撮影を進めていくうちに、そのことが全く見当違いであることに気づきました。
都会の中に自然があるのではなく、自然の中に都会があったのです。
冷静に考えれば、これは至極当り前のことです。
地球上のほとんどを占めるのは人間の住まない自然の土地なのですから。
しかし都会に暮らし、日々人間社会の雑務に追われている身からすると、つい自分のいる世界がこの世の全てと考えがちになってしまいます。
政治、経済、世界情勢、宗教、科学、芸術、歴史、文化、スポーツ、教育、仕事に家事、育児、日々の暮らし…と、人間世界にどっぷりと浸かって生活していればいるほど、人間社会が世界の全てと思いがちになるのではないでしょうか。
私はそういう視点に囚われたくないので、映画を作る場合、人間の視点だけではなく、同じ場所に存在する他の生き物の世界を意識的に描くことにしています。
今回の映画でも、カニやシジミやネコを人間と対比させ描いています。
それでも、いつも間にか“都会の中の自然”を撮ろうという意識になっていたのです。
私たちは自然界に暮らしています。自然の影響からは逃れられませんし、同時に多大な影響を自然界に与えています。
何もここで環境問題について言及するつもりはありません。
私の映画は環境問題も内包していますが、環境保護を訴えるために作っているわけではありません。
もちろん環境は大切にしなくてはならないと、自戒を込めて描いてはいますが、それは映画が題材ととことん向き合った結果、副次的に生まれてくる要素で、決して観客へのメッセージやテーマ(私はメッセージとかテーマとかいう言葉が好きではありません)ではないし、ましてや啓蒙ではありません。(啓蒙はもっと好きではありません)
私が自然を意識するのは、そこに自分との見えない繋がりがあるからです。
自然界は生態系ですべてが繋がっています。
そして私たちも意識はしていなくても、確実にそこに繋がっているのです。
私は映画でそこを捉えたいと思っています。
子供の頃から、私は身近な自然に興味がありました。
自然に溢れた環境ではなく、どちらかというと緑の少ない新興住宅地に育ったのですが、近くの花壇に虫たちが群がるのを何時間でも見ていたし、大雨が降った後の水たまりにアメンボや小さな虫たちがウヨウヨ泳いでいるのを眺めるのも好きでした。
彼らを見ていると何となく気持ちが落ち着くのです。
それはきっと自分が暮らす世界の中に自分とはまったく別の世界があり、しかしなおその世界と確実に繋がりがあることに、無意識に安堵感を覚えていたからだと思います。
「東京干潟」と「蟹の惑星」を撮影していた4年間のなかで、私はとてつもない不安にかられた時期がありました。
本業のフリーディレクターの仕事が激減したり、人間関係や健康上のトラブルをかかえ、身内にも様々なことが起こり、とても苦しい時期がありました。
そんな時に世間と隔絶したような干潟で独り撮影をしていると、たまらない気持ちになってきます。
自分は何をやっているのだろう、こんなことをしていていいのだろうか、この先どうやって生きていけばいいのだろうか…不安が波のように押し寄せます。
しかし干潟で生きるカニなどの生き物を見ていると、私の悩みとは無縁の世界が、同じ空間に歴然と存在していることを実感せざるを得ません。
そして、そこに同じ世界に生きるものどうしの繋がりを再確認すると、少しは不安が解消されていくのです。
自分が意識していなくても、自分は確実に自然と繋がっている。
この紛れもない事実が、私に安心感と安定感を与えてくれました。
さらに干潟で暮らすおじいさんを知り、彼の生活や人生が日本の社会や歴史の流れと関わっていることが明らかになっていくにつれ、この世界に存在するものには時空を超えた繋がりがあることも実感しました。
私は私の知らないところで、この世のどこかと繋がっている。
この世界に存在するものすべてが、きっとそうに違いない。
繋がりがあるということは、個々の存在に存在しうる意味があるのだ。
私には私の知らない意味があるのだ。
このことを映画を作りながら知っていきました。
ですから、この見えない繋がりを映画で捉えていこうと思いました。
「東京干潟」と「蟹の惑星」は見えない繋がりを描いた映画でもあるのです。
村上浩康(製作・監督)
編集は人の目にさらしてこそ磨かれる
昨日はひとりで撮影する意味について書きましたが、今回は撮影後の編集について書いてみようと思います。
私の場合、編集も自分ひとりで行います。
ドキュメンタリ―映画の場合、ドラマのようにあらかじめシナリオがあるわけではありません。
無論、事前の下調べなどでおおまかな構成を準備し、それに沿って撮影を進め仕上げていく場合もあるでしょうが、基本的には撮影済みの映像をもとに編集しながら映画の内容を構築していきます。
撮影した映像はそのままでは単なる映像の断片でしかありません。
それらを繋いでシーンやシークエンス、そして作品全体の構成を紡いでいくのが編集です。
つまりドキュメンタリー映画の編集とは、シナリオ書きと演出と編集を一度に行っていくようなものなのです。
いわば編集が映画を生んでいくのです。
編集によって、その映画が何を伝えたいのか、何を描こうとしているのかが決まるのです。
だから編集はとても重要です。
私にしてみれば、この最も重要な編集を他人に任せるわけにはいきません。
ところが、編集を自分で行わず、専門の編集マンに任せるドキュメンタリ―監督もいます。
それは何故でしょうか。
私が思うに、それは客観が欲しいからだと思います。
映画には作者がいます。それは多くの場合、監督ということになるでしょう。
監督は、自分の映画に最も深く関わり、考えに考え抜き、映画を吟味し尽します。
それだけに、知らぬ間に主観の世界に入り込んでしまいます。
一方、映画は客観的な表現です。
映画は観客に見られることを前提としているので、当然のことながら主観の狭い捉え方から、もっと広い公共の視点を得なければ、多くの場合、観客の支持は得られません。
これは安易に観客に媚びろとか、わかりやすさを第一に表現しろとか、そういう意味ではありません。
個人の思い入れの世界から、もっと広い共有できる世界へと昇華し、作者と観客が作品を通してコミュニケーション出来る豊かさを持とうということです。
その時に必要になるのが、客観です。
自分の映画のことを、作った本人が一番知っていると思ったら大間違いです。
知らぬ間に主観の沼にはまり込んでしまった作者は、思い込みや思い上がり、執拗なこだわりに囚われ、時に盲目になる場合が多いのです。
これが表現の怖さです。
だから撮影した素材を、一旦信頼できる編集者に渡して、プロの客観の視点で編集してもらおうという監督がいるのは当然のことなのです。
しかし私はやっぱり、編集は自分でしたい。
だって編集って面白いんだもん。
先述しましたが、編集は映画を生み出す作業です。
カットとカットを繋ぎ、シーンとシーンを繋いでいくと、映像が見る見る映画になっていく。その過程を実感できるのが編集です。
この世界に新しい映画が誕生する瞬間を最初に目撃するのが、編集をする人間なのです。
しかし、私がひとりで編集したものには、私自身が見えていない不備や、気づいていない落とし穴が隠されています。
そこで必要なのは、編集がある程度まとまった段階で、いろいろな人に見てもらうことです。
そこで出てくる様々な意見や批判を参考にして、更に作品に磨きをかけていくのが編集の最終作業になります。
「東京干潟」と「蟹の惑星」は編集に1年半をかけました。
撮影を始めて2年半が経過した頃、このままでは素材が膨大になり、編集しきれないと感じて、撮った映像を少しずつ編集し、シーンごとに細かくまとめていきました。
さすがに1年半も編集に時間をかけると(何度も同じ映像を見直すので)
自分の映画ながら全く思い入れやこだわりが無くなってきました。
だから自分は主観を脱却し客観を得ていると信じ込んでいました。
そして「東京干潟」の場合は、最初に完成したバージョンが2時間以上あり、それを1時間45分ほどにカットしたので、もうカットする部分もないだろう、これで完璧だろうとたかをくくっていました。
私は自信満々でいろいろな人に「東京干潟」を見てもらいました。
するとどうでしょう!
多くの人が、「長い」「くどい」「集中力が続かない」という、私には思いもよらない感想を口にしました。
いや、中には絶賛してくれる人もいましたが…。
これが編集の怖さです。
長い時間をかけたことで慢心していた私は、やはり主観の沼にはまり込んでいたのです。
そして心を入れ直して(?)、見てくれた人たちのアドバイスを参考に、再度試行錯誤を重ね、さらに20分ほど刈り込んだ83分の作品に仕上げました。
その後も、少しずつ見直しながら、映画館での上映が決まった後もマイナーチェンジを続け、時には追加撮影もして、つい最近まで編集を重ねていました。
先日行った試写会で、この最終バージョンを上映したところ(手前味噌で恐縮ですが)大変好評で、一安心しました。
というわけで、長々と書き連ねましたが、編集の奥深さと果てしなさを感じた今回の作品です。
私なりに研ぎ澄ましたと思いますので、ぜひ劇場でご覧いただき、作品を通して皆さんと対話できれば嬉しいです。
村上浩康(製作・監督)
ひとりでしか撮れない映画
映画というものは、多くの人の力を結集して作られるものです。
プロデューサー、監督、撮影、照明、録音、美術、衣装、ヘアメイク、小道具、大道具、特機、車両、制作、記録、俳優…その他多くのスタッフにより映画作りは支えられています。
ドキュメンタリー映画も劇映画ほどではありませんが、何人ものスタッフで撮影されるのが基本です。
しかしその一方で、ひとりでしか撮れない映画も存在します。
「東京干潟」はまさにそのような作品でした。
「東京干潟」は多摩川の河口でシジミを獲りながら捨て猫たちと暮らすおじいさんを描いた作品で、撮影期間は4年に及びました。
この間、私は一人でカメラを持っておじいさんの所に通い続けました。
これには、長期間にわたる取材のうえに、個人製作の自主映画なので、予算的に他の人を雇えないという理由が前提としてあります。
しかしまた一方で、おじいさんとの人間関係を築くなかで、個人的な付き合いを深めていくには、どうしても一人で向き合うことが必要だと感じたからでもあります。
現存する人を取材対象としたドキュメンタリ―映画では、その人とどういう人間関係を築くかに全てがかかっています。
それは取材する側の人間と、される側の人間の1対1の関係です。
「東京干潟」の場合、おじいさんの所へ、もし他のスタッフを連れて撮影に行くとなると、人数的にも精神的にも、無意識におじいさんを圧迫することになり、関係のバランスが崩れてしまいます。
私はどうしても、おじいさんと1対1で向き合いたかった。そうでなければおじいさんは心を開いてくれないだろうと思いました。
さらにこうしてバランスを保ったとしても、関係性を深めていくには当然のことながら時間がかかります。
この映画では、最初はおじいさんのパーソナルな話はほとんど聞かずに、多摩川の環境やシジミの乱獲、捨て猫の問題などについて少しずつインタビューをしていきました。
そして撮影後に、差し入れたお酒を飲みながら世間話をするうちに、徐々におじいさんが自分のこれまでの人生について断片的にお話ししてくれるようになり、そこから、個人的な部分に踏み込んでインタビューをしていきました。
つまり、おじいさんが自分から話してくれるまで、じっとタイミングを待ち続けたのです。
そうやって長い時間をかけたからこそ、おじいさんは自分の波乱の生涯を話してくれたと思います。
取材優先というスタンスではなく、あくまでもコミュニケーションの延長線上に撮影があったのです。
ですから「東京干潟」では、おじいさんと話す私の声も意識的に活かしています。
おじいさんとの会話をあえて提示し、作品に取り込んでいるのです。
これは私の前作「無名碑 MONUMENT」(この映画は全編を様々な人のインタビューで構成しています)で極力、私の声を省いたのとは全く逆の方法論です。
「無名碑 MONUMENT」は、いわば一期一会の通りすがりの人に話を聞くというスタイルだったので、相手の存在感を短い時間の中でいかに際立たせるかがカギでした。だから私の反応や合いの手は出来るだけ省きました。
逆に「東京干潟」は、おじいさんと私が関係を築いていく過程をドキュメンタリ―として描こうとしたのです。
そのコミュニケーションの過程が「東京干潟」には内包されています。
ただ、私が気を付けていることがひとつだけあります。
それは相手の気持ちを決して代弁しないことです。
いくら相手の気持ちに寄り添っても、いくら真剣に推し量っても、所詮本当の胸の内はわからないのです。
私はおじいさんの本当の気持ちはわからない。 だから、「それはこういうことですね」とか、「こう思ったのですね」とか、相手の心の中を勝手に解釈するような言葉は発しないようにしました。
おじいさんの内面は私が代弁するまでもなく、おじいさんの言葉や表情の端々に、また彼をとりまく環境や行動、生活の中からも自然に滲み出てきます。
それを見る人に感じてほしい、そういう考えのもと、安易な私的解釈、つまり代弁は決してしないように心掛けました。
相手の内側に干渉せず、外面から観照する、これが私のドキュメンタリ―映画作りの基本です。
村上浩康(製作・監督)
【動画】川と海の狭間に暮らすものたち(「蟹の惑星」未公開映像)
川と海の狭間に暮らすものたち:「蟹の惑星」未公開映像(ドキュメンタリー映画「蟹の惑星」PRESENTS)
河口は川が海に流れ込む場所です。
ここは汽水域といって、淡水と海水が混じっている場所です。
多摩川河口の汽水域の干潟には様々な生き物が暮らしています。
その中から「蟹の惑星」に登場しなかったカニとヤドカリの仲間をご紹介します。
村上浩康(製作・監督)