共生と祝祭の境地
先日行った「東京干潟」のマスコミ向け試写会ですが、おかげさまでご来場くださった皆様には大変好評で、お褒めの言葉や上映に向けての励ましの声を頂戴いたしました。
なかにはご丁寧に電話やメール、手紙で感想を送ってくだった方もいらっしゃいました。
そのマスコミ試写でお配りしたプレスシート(作品解説や私のインタビュー、また様々な方々から頂いた作品へのコメントなどが豊富な写真と共に掲載されている小冊子です)を、今回の上映中にパンフレットとして販売いたします。
上記の画像がその表紙になります。
東京の涯ての干潟でカニや猫と戯れるおじいさんたちを描いています。
この楽しいイラストを描いてくださったのは、岩手県盛岡市の紙町銅版画工房の岩渕俊彦さんです。
岩渕さんは銅版画のアーティストですが、センス溢れる素敵な消しゴムハンコも制作されており、今回映画のために消しゴムハンコでこのイラストを作ってくださいました。
この絵は背景を除いてすべて、消しゴムハンコを押して作られています。
もちろん、両作品のタイトルも。(映画の中のタイトルもこの消しゴムハンコの文字を使用しています)
干潟を舞台にしたそれぞれの映画は、決して楽しいことだけを描いているわけではありません。
人間が自然に及ぼす様々な影響、文明社会のしわ寄せや人間のエゴによって捨てられる小さな命の存在を描いています。
また人が人生を全うしていくことのへの苦闘や葛藤も盛り込まれています。
でも、私はこの2つの映画をネガティブな気持ちでは捉えていません。
この世界は様々な矛盾や問題に満ち溢れています。
都会の隅っこで、世間と関わりのないように思える干潟でさえ、突き詰めていけば現代社会の問題と繋がっていることがわかります。(この映画はそれを描いています)
しかし、そのことを批判的に、また悲観的に受け取るだけでは、本質を見失うような気がします。
この世界に存在するものには、何かしらの理由があり、意味があると思います。
存在とはそういうものだと思います。
そしてそれをまず認めることが共生につながるのではないでしょうか。
ですので、イラストを描いていただくにあたり、あえて岩渕さんには祝祭的なイメージでとお願いしました。
当初は鳥獣戯画のイメージでとお伝えしましたが、岩渕さんはさらに祝祭感を広げて可愛く描いて下さいました。
この絵のそれぞれのおじいさんの表情を見ると、映画の中で時折見せてくれた笑顔がシンクロします。
遠景に広がる東京の街がカニや猫や自分たちを追いやろうとしても、おじいさんたちは明るく踊っています。
絵の中に表現されているユートピアのような空間と時間は、おじいさんたちがそれぞれの人生で辿りついた境地なのだと思います。
素晴らしい絵で映画の世界観を示してくださった岩渕さんに感謝します。
村上浩康(製作・監督)
ビデオサロン「ドキュメンタリー映画監督に訊く」で掲載されました!
月刊誌ビデオサロンがウェブ上で連載しているシリーズ「ドキュメンタリー映画監督に訊く」で私のインタビュー記事が公開されました。
長時間にわたって取材をしていただき、とりとめもなく勝手にしゃべり続けた私の話をこのように素晴らしくまとめていただき、とても嬉しく光栄です。
この記事を読んで、私自身が私の映画作りを客観的に知ることができました。
「東京干潟」「蟹の惑星」の製作裏話も満載で、この記事を読み、映画を見ていただけたらより作品が楽しめると思います。
記事を書いてくださった編集者さんに改めて感謝いたします。
ありがとうございました。
村上浩康(製作・監督)
上映時間&上映期間中の催しのご案内
いよいよ「東京干潟」「蟹の惑星」公開まで、あと2週間となりました。
ポレポレ東中野での上映期間と上映時間が確定しましたので、お知らせいたします。
変則的で少しややこしいのですが以下の通りです。
上映は7月13日(土)から8月2日(金)の3週間になります。
第1週目
7月13日(土)~19日(金)
12:30~「東京干潟」
14:30~「蟹の惑星」
第2週目以降(各作品を1本づつ日替わり上映になります。時間も変わります)
7月20(土)、7月22日(月)、7月23日(火)、7月25日(木)、7月26日(金)、7月27日(土)、7月29日(月)、7月30日(火)、8月1日(木)、8月2日(金)
10:30~「東京干潟」
7月21日(日)、7月24日(水)、7月28日(日)、7月31日(水)
10:30~蟹の惑星
(つまり、二週目以降は「蟹の惑星」は日曜日と水曜日の上映のみ、その他の日は「東京干潟」が上映されます。)
また、上映期間中には、映画館で様々な催しを行います。
(その1)シジミ汁を振舞います!
上映初日の7月13日(土)~15日(月)の3連休に「東京干潟」のおじいさんが、多摩川で獲った貴重な特大シジミのお味噌汁を無料でお客様に振舞います。
ひと口ほどの量ではありますが、よろしければ映画に登場するシジミ汁を味わってみてください。ひと味違う美味しさだと思います。
「東京干潟」の上映後にポレポレ東中野1階のカフェ・ポレポレ坐のテラスにてお配りします。
(これは「東京干潟」をご覧になったお客様が対象になります。また量に限りがございますので、品切れになる場合もありますことをご了承ください)
(その2)カニを展示します!
多摩川河口に住む生きたカニたちをポレポレ東中野のロビーに展示します。
「蟹の惑星」の主人公・吉田さんの監修のもと、水槽にカニたちを飼育しながらお客様に見ていただきます。
また、カニの巣作りが一目で分かる展示物や、カニの脱皮殻の標本も展示します。
映画館に小さなカニ博物館が出現します。
(その3)多摩ねこ写真展を開きます!
多摩川で30年間、毎日猫たちの救護・保護活動を続けている小西修さんのミニ写真展を開きます。
小西さんは猫の保護を続けるかたわら、人間に捨てられ、果ては虐待を受けた猫たちの写真を撮り、多摩川の捨て猫の実態を人々に訴えています。
上映期間中、小西さんが撮影した多摩ねこたちの写真をロビーに展示していただきます。
(その4)舞台挨拶&トークゲストあり!
上映期間中は毎日、村上浩康監督が舞台挨拶をさせていただきます。
(「東京干潟」「蟹の惑星」それぞれ上映後に行います)
また、以下の日程で映画の出演者や協力者のトークショーを開催します。
7月13日(土) 吉田唯義さん「蟹の惑星」出演者:「蟹の惑星」上映後
7月14日(日) 小西修さん(多摩ねこ写真展):「東京干潟」上映後
7月20日(土) シジミのおじいさん「東京干潟」出演者:「東京干潟」上映後
このように上映期間中に様々な催しがありますので、どうぞ皆さんお楽しみに!
村上浩康(製作・監督)
なぜ水辺とおじいさんなの?②(自分を使い尽くす)
水辺を舞台におじいさんばかり撮っていることについて、昨日は“水辺のわけ”を書きました。
それは水辺が生命活動の場であるということでした。
では、おじいさんについてはどうなのか。
おじいさんとは、つまり老人ですので、彼らは生命活動の終盤に向き合っています。
水辺が象徴する生に対して、死を予感させる存在です。
水辺を舞台におじいさんを撮ることは、生と死を同時に捉えていくことになるのです。
昨日も書きましたが、違う要素を対比しながら描くことが私の映画作りなので、そのことが端的に見えることから、水辺とおじいさん になるのだと思います。
しかし、ここでもう一つの疑問が湧いてきます。
老人を描くなら、おばあさんでもいいのでは?
その通り、おばあさんでもいいのです。
しかし私の場合、おばあさんとの幸運な出会いが無かったのです。
岩手県盛岡市の池を舞台に撮った「無名碑 MONUMENT」(2016年)では、お花見で池に集まってきた多くの老若男女に無作為にインタビューを敢行しました。
その中にはもちろんおばあさんもいました。
おばあさんに話しかけると、初めはオープンにいろいろと喋っていただけるのですが、それを撮ろうとカメラを向けるや、皆さん逃げるように去っていきました。
「撮られるのはいや!」
その気持ちは分かります。
突然、見ず知らずの男が自分にカメラを向けてきたら、たいがいの人は抵抗があると思います。
特に女性は警戒するでしょう。
また、仮に撮られるならもっといいコンディションで撮ってほしいという気持ちもあるでしょう。
とにかく、いま突然撮ることは難しかったのです。
(私の場合「いま撮らせて下さい」という手法で製作しているので難しいのです)
反対にカメラに対して一番抵抗が少なかったのが、おじいさんでした。
おじいさんたちは、あまりカメラを気にしませんでした。
撮るなら勝手に撮ればいい、という感じの人が多かったのです。
おじいさんたちにカメラを向けると、ある人は朗々と、またある人は訥々と、大概の人が長い時間をかけてお話をしてくれました。
これはどうしてなのか?
もしかしたら、おじいさんは話したがっているのかもしれない。
そんな気がしました。
多くのおじいさんが、自分の中に話したいことを持っている。でも、普段はなかなかそれを話す機会が無い。
あらたまって話すことではないと思っているのかもしれないし、聞いてくれる人が周りにいないのかもしれない。
また、特に今のおじいさんの世代は、男のおしゃべりは美徳ではないと教えられてきたのかもしれません。
理由は様々にあるのでしょうが、とにかくおじいさんは話してくれるというのが、私の長年に渡る撮影の中の印象です。
言い方は悪いのですが、私はそこにつけこんで撮影をしているのです。
こうして私が撮影してきたおじいさんたちには、ある共通点があります。
それは、“自分を使い尽くしている”ということです。
映画に撮らせていただいたおじいさんたちは、それぞれ境遇や取り組んでいることは違っていても、皆さん真剣に何かに没頭しています。
そしてそれに対して終点を決めていません。
「東京干潟」のおじいさんは、猫と自分の暮らしのために毎日川に入りシジミを獲っています。
「蟹の惑星」の吉田さんは、定年退職後に突如としてカニの研究に目覚め、15年間に渡って多摩川に通い続け独自の調査と記録を行っています。
それぞれ、生活の為、趣味の為と目的や動機、また老年の境遇も違いますが、私はこのお二人に共通するものをずっと感じていました。
お二人とも、老後や余生という意識を持たず、今取り組むべきことに一心に向かっているのです。
生きて居る限り、自分というものを使い尽くそうとしているのです。
体も心も頭脳も気力も、自分の中にあるすべてを使い切ろうとしているのです。
(これは野生の中で見たカニをはじめとする生き物にも共通することでした。彼らも生ある限り、その炎を燃やし続けているのです)
この姿に私は励まされてきました。
撮影中、先が見えず心が折れそうになった時も、50歳を越え体のあちこちにガタが来て元気の無くなった時も、お二人の姿を見ると、いやいやまだ俺は自分を全然使い切っていないじゃないか、もっともっと出来ることがあるはずだ、とその度に鼓舞されました。
無論、これはお二人が健康で元気だからこそ出来ることです。
しかし、逆に言えばこうして日々取り組むべきことを続けているからこそ元気なのだとも云えるのではないでしょうか。
さらに、これはテレビで見たことですが、川のそばにいる人は寿命が長い傾向があるらしいです。
それは川のせせらぎの音が関係しているとのことです。
だから尚更、お二人ともお元気なのでしょう。
自分を使い尽くすお二人の姿を、ぜひスクリーンでご覧ください。
村上浩康(製作・監督)